2011.02.26 南房総:フラワーラインを行く:後編 (その1)




前回の続きです~ヽ(・∀・)ノ

■館山ファミリーパーク


 
さて当初予定に無かった2日目である。午後には戻らなければならないので、リターン目標は房総半島の最南端=野島崎灯台あたりに定めてそそくさとこなしていこう。

今日は花どころということで、宿の主人氏から教えてもらったファミリーパークから尋ねてみる。ここは地元産の花卉栽培を題材にしたテーマパーク…という理解で良いのだろうか、いわゆる観光農園といった雰囲気のスポットだ。場所は平砂浦のちょうどど真ん中という立地になる。


 
ここを通るフラワーラインは道沿いに菜の花が植えられていて、花気分を盛り上げてくれる。フラワーラインは館山から千倉あたりまでざっと40kmほどあるのだが、さすがにそのすべてが花で埋め尽くされている訳ではない。走ってみた感想を正直ベースで書くと、道路の見栄えがするのは平砂浦の近傍数kmくらいのように思える(※)。

この付近は季節ごとに花の植え替えを行っているらしい。菜の花はもう終わり…とは言われていたが、幸いまだ引き抜きは行われていないようだ。

※花を栽培している農家は千倉方面まで点々と続いており、道端がショーアップされているかどうかの違いがあるだけで花に関する観光スポットは実はいくつもある。


 
そんな訳で前置きはそのくらいにして、さっそくファミリーパークに入ってみよう。


 
ちょうど入園したタイミングで雲が出てきてしまったのでいまひとつ爽快感に欠ける写真だけれども、2月の関東地方とはにわかに信じられない椰子具合と花具合である。


 
り口付近には春らしい色彩のパンジーが並んでいた。最近までスミレの仲間だとはさっぱり知らなかった(^^;)



 
奥に向かうと菜の花畑が広がっていた。那須ではGWの頃に牧草地の周辺でよく見られる風景である。

山国育ちの筆者からすると椰子の木が背景にあるのがかなり違和感MAXなのだが(笑)、まあ観光施設なので細かいことは気にしないのがお約束だろうか。


 
園内の花は、さすがに専門家が育てているだけあって栄養状態も良さそうだった。 道路沿いに植えられている花よりもあきらかに茎は太く、葉は厚く、花付きも良いし、アップで写真を撮るなら断然こちらのほうが見栄えがする。

筆者は決して観光宣伝マンでは無いのだが(笑)、せっかく南房総まで来るのであれば道路沿いの花だけで満足するのではなく、多少の入園料(ここは\530)を払ってでもちゃんと手入れの行き届いた花を見ることをお勧めしたい。花の見栄えというのは同じ品種でも栽培技術によってまるで違ってくるので、美人を期待するならやはりプロフェッショナルのブリーダー(?)の育てたものの方がエロースを感じる花を撮ることができると思う。


 
続いて通路をぐるりと回り、ポピー(西洋芥子)園に入ってみた。宿で話を聞いたときはもっとシーズンの走りの頃かな…と思ったのだけれど、状況は見ての通りすでに "満開ど真ん中" といった状態である。

園内にはハウス物と露地物が混在している。…が、やはり絵として爽快感があるのは露地物の方だろう。ちょうど雲も晴れてきて花の色が鮮やかになり、オレンジと黄色の花絨毯が広がった。


 
そんなポピーをアップで1枚。

那須であれば 「5月の写真です」 で通用してしまいそうだ。 くどいようだが、実際には2月である(´・ω・`)


 
ひときわ花の密度の濃い部分に寄ってみた。

一株のポピーがいったいどのくらいの花を咲かせるのか筆者にはよくわからないが、花の周囲には無数のつぼみが伸び上がっていて次から次へと咲き続けている様子がみえる。ここまで賑やかなバースト具合を見せられると南房総の特異的な暖かさというものに否が応でも納得せざるを得ない。


 
こんな花の栽培が始まったのは、いつ頃なのだろう。

そう思って調べてみたのだけれど、どうもはっきりとはわからない。伝説では南北朝の頃に花園天皇の娘が船で漂着して花咲く木を村人に与えた…とする話もあるのだが、これは少々出来すぎのような気がする。

産業史としては江戸時代に水仙の栽培が行われていたとの記録があり、これは江戸に出荷されて武家屋敷や商家などに納品されていたようである。


 
西洋品種も交えて多種多様な花卉栽培が行われるようになったのは、時代が下って明治の中ごろからになる。それ以降、明治末期~大正時代にかけて栽培品種の多様化が進み、第二次大戦中は一時期低迷するが、戦後はまた復活して現在に至っている。最近の栽培種はほとんどが西洋の園芸品種で占められるようだが、筆者は花には素人なのでどれがナニやら実はよく分からない(笑)



 
ところでビニールハウスの前には、花摘みの案内板がいくつも掲げられていた。ここでは見るだけではなく、有料で花を摘み取って持ち帰ることができるのである。形態としては植物園(=見るだけ)より農園(=収穫する場)に近いといえる。

実はこのような形態の観光農園はフラワーラインに沿っていくつもあって、館山から南房総市の千倉あたりまで花畑と交互しならが点々と続いている。そんなにチョキチョキやってる人がいるのか? …というツッコミがあるかもしれないが、それが結構、居るのである。


 
ちょうど今がシーズンなのはキンギョソウとポピーのようで、単価は同一にして本数さえ数えれば会計できるようになっていた。なんだか回転寿司の皿数えみたいな感覚だけれども、まあ合理的といえば合理的といえる。摘む作業をするのはお客さんだから人件費も節約できて一石二鳥といえるかもしれない。

※菜の花は単価が安すぎる(?)せいか最初から対象外のようであった(^^;)


 
…が、調べてみるとこの 「花摘み」 には人件費うんぬんというケチ臭い次元ではなく、"思い出を売る" というとても現代的なテーマがあるらしい。

少々生産者よりの泥臭い話になるけれども、花も商品作物である以上、価格競争や産地競争にさらされている。通販サイトなどでは生花はもうとっくに宅配ギフト商品の定番になっていて、画面をポチっとやると綺麗にアレンジされたセットが届く時代だが、よくみるとそこには殆んど産地の表示がないことに気づく。ショップの向こう側にいるのは顔の無い生産者であり、ありていに言ってブローカーが買い叩いた最安値のものが流れているのだろう…と、多少の営業経験をもっている筆者は思っている。


 
それに対抗しようという解のひとつが、参加型観光あるいは体験型観光としての "花摘み" なのである。

なにしろ自分で摘んだ花には、そのときの旅の記憶や思い出がセットになっている。これにはブローカーも値段のつけようがないし、何かで代用することもできない。「南房総に旅行して、自分で摘んだ」 という付加価値が、その瞬間までは無名であったひとつひとつの花に 「顔」 を与えるのである。


 
こういった、個人の記憶や思い出の価値というのは、実はマルクスやエンゲルスの古典経済論では説明ができない。

数値で表すことのできない、あやふやなもの。

個人の内面にしか存在しない、他の誰にも定量化できないもの。

…そんなものが、いまどきの観光業の業態の中で、ひとつのトレンドを形成している。たかが花摘みじゃないかと笑ってはいけない。そこに価値を感じる人間が一定数以上いなければ、こういう施設は成立しないのである。




■平砂浦海岸


 
さてファミリーパークで花を愉しんだ後は、通りをひとつ挟んで平砂浦の海岸に出てみることにした。


 
この付近の海岸線は幅100m以上にわたって防風林として松が植えられ、実はフラワーロードから直接海を見ることはできない。そこを突っ切って海岸に出てみようという訳である。


 
なぜ防風林がこんなところにあるかといえば、ここが広大な砂丘だからである。ちょうど良い写真がないので↑こんなものを掲載してみるが、背後でピンボケになっている地面が黒土ではなく砂地であるのが分かるだろうか?

砂丘は東西5kmほどに及び、案内板によると防風林は戦後になって植えられたものとある(※)。長らく耕作には適さない場所であったらしく、調べてみると砂丘の一部は第二次大戦中日本軍の演習地になっていたこともあるようだ。

※江戸時代にも防風林は植えられていたのだが、戦時中に伐採されてしまった。旧日本軍の演習地の指定と絡んで事情がややこしいので、ここでは丸めた表記にしている。


 
平砂浦周辺の集落はそのほとんどがく山側ぎりぎりの位置に分布している。おおよそ標高20mのラインに沿っており、ここから海側に民家が建つことは稀であった。これは "飛び砂" の被害があったためと言われている。

飛び砂とは風で砂丘が動き回ることをいう。かつては風の強い日には一晩で家が埋まってしまうほどの砂山が出来たこともあったそうだ。

ここに昭和24年~32年にかけて保安林(防風林)として大量の黒松が植えられ、現在のフラワーラインはこれによって新たに利用可能になった広大な砂丘の上を通っている。その奥側には防風林とビニールハウスがさらに幾筋もの列を成し花卉栽培地として使われている。さきのファミリーパークも地域的にはその一部ということになり、花は砂地に咲いているのである。



 
しばらく歩くと、防風林の松は海岸が近づくほど背が低くなり、高山のハイマツを思わせるような様相をみせてきた。砂はサラサラの珪砂である。この↑写真で筆者は丘のようなところを登っているのだが、これがまさに "砂丘" ということになるのだろう。


 
足元の松に寄ってみた。

うーん…確かにこれは、木が低いというよりも 「砂に埋まってしまった」 という状況だな…(´・ω・`)


 
砂の山を越えて、ようやく海岸に出た。…おお、鏡ヶ浦と称された館山湾とは打って変わって波が荒い。

浜は遠浅の砂地のようで、波頭が砕けて打ち寄せるまでの白い部分がえらく長い。海(=南西方向)から吹き寄せる風は晴天の本日はそれほどの強烈さを感じさせないが、それでも一定の風速で吹き寄せている。冷たい北風は遥か背後の山々がブロックしてくれるけれど、南~西からやってくる海風をモロに受けるのがここの地勢的な特徴のようだ。これが砂を飛ばすということになるのか・・・


 
砂丘から後方を振り返るとこんな感じである。フラワーラインはあの松林の遥か向こうを走っていてここからは見えない。どれだけ分厚いバリケード樹林なんだよ、と感心してしまうとともに、もしあの防風林がなかったらこの砂丘が延々と続いていたんだなぁ…とも思う。写真的にはそんな風景も美しいが、地元の人にとっては迷惑だろうなw



 
それにしても…岬ひとつを境にして、こんなに様相が変わるものなのか (´・ω・`)


 
館山市街地と平砂浦は、高さにしてわずか100mばかりの山(…というか丘?)で分断されているだけなのに、これだけの差を生じてしまう。黒潮の恩恵をもたらすのが海風なら、砂を巻き上げて砂丘を作るのも風の所作である。花が咲くから即、パラダイス…というわけではなく、結局は人が長い年月をかけて環境をつくっているということなんだな。


 
そして、こういう砂地が基盤となって水田の作りにくそうな土地にあっては、花卉栽培というのは数少ない選択肢の中でなんとか "食える産業" ということになるのかもしれない。

同じような温暖な土地であっても山向こうの静かな土地=館山平野側で一番多いのは実は水田である。花卉栽培は、平砂浦周辺のこの風の強いエリアで行われている。暖かい黒潮の恩恵を受け…という文脈なのか、他に適した作物がない…という文脈なのか、とある地方にひとつの地場産業が定着していく過程を、ふらりとやってきただけの旅人が安易に考察するのは難しい。

<つづく>