2010.04.25 川治黄金伝説っ♪ヽ(`◇´)ノ




当初は 「会津西街道の春を眺める(後編)」 の本稿に入れていた部分ですが、少々脱線気味な内容なので別項にしてみました。(超・短稿です ^^;)




さて川治温泉では源泉周辺のピンポイント的な花模様を除くと、まだまだ春は本格的なものとは言い難い。それだけだとちょっと寂しいので、ここでオマケ的な話として黄金伝説を紹介しておきたい。




温泉街の南端、薬師の湯のすぐ下流に鬼怒川本流と男鹿川の合流部があり、歩行者専用の青い橋が掛かっている。これは 「黄金橋」 といい、この地に伝わる黄金伝説をモチーフに作られた観光用の橋である。黄金なのに何故青いのか…についての説明は無い(ぉぃ)




川治に伝わる黄金伝説とは、よくある徳川埋蔵金とは異なり "平家落人" とセットになった話だ。

平安末期に壇ノ浦で滅んだ平氏の残党の一部は、その後しばらく宇都宮領の山中に潜んでいたことが知られている。地理的にはちょうどこの川治 (この頃は温泉は存在しない) から高原のあたりで、のちに彼らはより奥地の塩原や湯西川、川俣に移り住んで隠遁していくのだが、そのとき一門の米澤淡路守なる人物が南平山 (=黄金橋を渡った先) に財宝を隠したといわれている。

当時の幹線道路=会津西街道は川治温泉がまだ存在していないこともあり、峻険な龍王峡の渓谷を避けて高原を経由して会津方面に続いていた。川治周辺はちょうどこの深い渓谷で街道から隔てられており、落人が身を隠すには確かに有利な地勢であっただろう。




しかし平家落人がいたことは事実であったとしても、彼らが財宝を埋めたという客観的な資料は存在しない。そして当の平家の子孫達もそれを掘り返してお家再興に動いた形跡はないのである。




現在、南平山には黄金伝説にちなんで散策路が整備されており、物見遊山で歩く観光客は多い。しかし財宝のありかが推定されているわけでもなく、散策路を標識に沿って歩いていくと山頂まで引っ張られることになる仕掛けになっていて、まあそのへんはお約束というか、よろしく観光が振興されていたりする。




■ 鍵歌




ところで黄金伝説では、客観的な資料は無いものの、財宝のありかを示すといわれる "鍵歌" なるものが伝えられている。それは

朝日差し
夕日輝くこの丘に
黄金千杯朱千杯

なる歌である。TVアニメの名探偵:江戸川コナン氏なら推理ひとつで何かを発見(笑)してしまうかもしれないが、しかし実のところこの歌の信憑性は、非常に怪しい。




どのへんが怪しいかと言うと、実はこの鍵歌にはそっくりな類似品が大量に存在するのである。

これは関東甲信越~南東北地方に広く分布する埋蔵金伝説に多く見られる共通点で、その鍵歌は皆そろいもそろって "朝日差し夕日輝く○○に~" となっており、○○は山であったり丘であったり木であったりするのだが基本パターンは皆同じだ。

これが滅亡した有力武将の名前 (平家、武田氏、奥州藤原氏、佐々氏etc…とイロイロある) とセットになって、お家再興のための財宝が埋められたとの "伝説" として伝わっている。そのあまりのスタンプコピー振りに、筆者などは 「絶対に共通の仕掛け人がいるだろーw」 と思っているのだ。




埋蔵金一般については 日本の埋蔵金研究所 なる団体があって、これはこれで楽しそうな活動をしている。
それで川治の埋蔵金はどうかというと、どうにも信憑性が薄いようで、彼らの事例リストにはカウントされていない。この団体の主張によれば埋蔵金の類を発掘するにしても資料の裏づけが第一らしく、文献の少ない平家落人系のランクが低めに評価されるのはまあ仕方のないところだろう。




筆者も必要以上にこの案件に首を突っ込むつもりは今のところは無く、生暖かく周辺事情をニヤニヤしながら愉しむのがお作法かな…という判断でいる。

黄金伝説のある南平山には現在では会津鬼怒川線のトンネルが通っており、民営化直前の国鉄(当時)が地質調査を綿密に行ったにも関わらず、黄金を掘り当てたという話はさっぱり聞かない。

そんなわけで、やはり夢は夢としてロマンのままにしておくのが良いのだろうな。


<おしまい>