2010.04.25 会津西街道の春を眺める:後編(その1)




前回の続きです~ヽ(´ー`)ノ

■ 龍王峡




さて前回は鬼怒川温泉で終わってしまったので、今回は龍王峡から始めることとしたい。

鬼怒川温泉から5kmほど川を溯っていくと、やがて藤原集落を抜けて龍王峡に達する。市町村合併で大・日光市になる以前はここは藤原町という自治体で、町の名前の由来となったのがこの小盆地にある藤原集落であった。奈良時代に朝廷の有力者であった藤原仲麻呂の親族 (息子と言われるが定かではない) が蝦夷討伐に東山道を進んでいき帰還する際に、その一族の幾人かがここに住み着いたとの伝承がある(※)。

※仲麻呂の息子というと三男の藤原朝葛 (あさかり:葛には本来ケモノ片がつく) が陸奥守となって多賀城に赴任しているので該当しそうだが、当時我が世の春を謳歌していた "華麗なる一族" がこんな山間の僻地に住むというのも妙な話である。ただし藤原仲麻呂は後に孝謙天皇と対立し反乱を起こして処刑されているので、可能性があるとすればそのときに都落ちしたゆかりの者が潜んだ…とでもいったところだろうか。




さてそれはともかく、ここでは龍王峡の風景を見てみることにしよう。この付近は地質が比較的やわらかく、鬼怒川の水流によって深い渓谷が穿たれたところである。どこからどこまでを正式に龍王峡というのかはちょっと定かではないのだが、およそ2kmほどに渡って水流で侵食された岩盤が連続し、岩の種類によって紫竜峡、青竜峡、白竜峡などとローカルな呼び名がついている。峻険な地形のため、降り口は事実上1箇所しかない。

かつてはこの切り立った地形を避けて、西会津街道はいったん鶏頂山中腹の高原宿まで登ってから五十里宿方面に抜けるルートを採っていた。峡谷沿いに道が開削されたのは上流で川治温泉が発見された江戸中期以降といい、これが現在の渓谷散策路の原型となっている。




さて鬼怒川温泉から上っていくと途中に妖しげな秘宝館があるのだが…年がら年中 "春" みたいなところなのでこれはスルー(笑)




やがて、唯一の降り口=日光市営駐車場に入ると、鳥居がみえた。本来ここは江戸時代に祀られた五龍王神社の参道に当たるところらしい。

左にちょこっと見えているのは東武観光のレストハウスである。写真には写っていないがすぐ後方には会津鬼怒川線の龍王峡駅があって、列車を降りると目の前が観光スポット!…という狙ったような立地になっている。さすがは鉄道会社、このあたりの観光開発は抜け目が無い(笑)



駐車場には龍王観音なる観音像が鎮座していた。観音菩薩に不動明王のシンボルである剣か。普通は大日如来とセットになる筈なんだけど珍しいな。




さて鳥居を過ぎてからは、急な断崖を九十九折(つづらおり)で降りていく。ここが龍王峡への事実上唯一の降り口である。谷底までは40mほどだろうか。

ここまで今市から走行距離をカウントすると17kmほどの北上になるのだが、たったこれだけでも木々の芽吹き具合が "微萌え" になってきているのがわかる。標高も上がっており、時間を遡っているような感じだ。



急斜面を降りると、すぐに虹見の滝が見えてくる。日塩もみじラインに沿って流れ下ってくる野沢が鬼怒川に合流している部分で、説明書によると鬼怒川本流の流れる渓谷部分の岩盤が比較的柔らかいため、本流の方の河床がどんどん下がっていって滝になったものらしい。この近辺の流入河川はこのパターンで滝を形成しているものが多く、景観を優美なものにするのに一役買っている。




その虹見の滝を正面から見ると…おお、確かに虹が見える…!

虹を見るにはもちろん日が差す必要があるのだが、ここは谷底なのでその時間帯は限られる。頃合が良いのは正午前後らしい。この写真を撮ったのは午前11:50頃で、偶然ではあるがドンピシャリなタイミングだった。




その滝の正面にそびえる岩塔の上に建つのが、五竜王神社である。崖の九十九折(つづらおり)は形式上はここに至る参道で、ここから分岐して遊歩道が渓谷の奥へと続いている。

ここは元は鶏頂山山頂付近の弁天沼に祭られていた神社だったが、享保8年の洪水の後に守護神として移された。山頂からこの滝の前に移ったのは龍神のご神託によるものだと伝えられており、龍王峡の名ももしかするとここから採られたものかもしれない。



社(やしろ)の扉は閉まっていて神像を拝することは出来なかった。案内板には文政8年に鶏頂山に祀られて享保8年以降に移設されたような文言が見えるが、文政8年=1825年、享保8年=1723年なのでそのままの解釈では順序が合わない。神像は一時期転々と流浪したとの言い伝えもあるので、もしかすると神社建立と神像安置には時期的なズレがあるのかもしれないな。

それはともかく、伝承にある享保8年の洪水というのは鬼怒川沿線の近世を考えるうえで極めて重要なので、神社の由緒よりはこちらのほうを覚えておきたい(詳細は後述する)。




さて滝を過ぎてすぐ下の虹見橋まで降りてみた。 ここからは龍王峡の眺望を望むことが出来る。



これが龍王峡である。写真は虹見橋から上流側を望んだもので、最も峻険な部分はここからさらに上流側1kmほどの区間になる。付近は巨大な1枚岩盤で水の浸食によって河床がうねるように抉(えぐ)り取られており、遊歩道を進んで上流側のむささび橋まで行くとさらに深く狭い地形を見ることができる。



下流側をみるとこんな感じで、いかにも何かが潜んでいそうな深い淵が広がっている。昔話のモチーフのひとつにでもなりそうなところというか…まあ、龍神様を祀る場所としてはそれなりに相応しいところと言えそうだ。

ところで、この付近は江戸時代以前は崖上から崩れ落ちた土砂やそこに繁茂した樹木の落ち葉などが堆積し、現在よりもなだらかな地形だったという。それを一気に押し流して岩盤を裸で露出させたのが享保8年の洪水で、鬼怒川の景観はこれで造られたといっても過言ではない。それから280年あまり経過しても岩盤がふたたび土砂で埋まった様子はないので、ここからも当時の洪水が如何に大規模なものであったかを間接的に知ることが出来る。




さて時間があれば遊歩道を周遊してみたいところだが、あまり長居してしまうと先に進めなくなる。今回はここで切り上げてクルマに戻ろう…(ちょっと勿体無いのだけれどねぇ ^^;)。

<つづく>