2007.05.26 三斗小屋(その1)




そろそろ那須の奥地でも残雪が消えた頃・・・。軽装でも山歩きしやすくなっただろうということで、ちょっと遠いですが三斗小屋温泉まで行って参りましたヽ(´ー`)ノ




三斗小屋は栃木県の北端、茶臼岳と大倉山に挟まれた谷合にある廃村である。かつては会津藩23万石と江戸を結ぶ会津中街道の宿場として栄えた。戊辰戦争の戦禍に巻き込まれて以降は衰退し、ついに昭和32年に最後の一戸が転出して無人の廃墟となっている。街道は一部は登山道として利用されているものの大部分は森に沈んだ状態にある。

現在では宿場跡から2kmほど山道を登ったところにある温泉のみが、かろうじて2件の旅館によって維持されている。華やかな観光施設の林立する茶臼岳南東面側を 「表の顔」 とすれば、三斗小屋は歴史の彼方に消え去った 「裏の顔」 といえるかもしれない。




現在の三斗小屋付近の状況はおおよそ↑のようになっている。会津中街道はこの範囲では板室宿~沼原湿原~三斗小屋宿~大峠~野際宿と続いていた。街道は登山道の一部として痕跡がのこっているが、三斗小屋~大峠間は完全消失している。なお深山湖および沼原調整池は昭和40年代の那須野ヶ原総合開発事業に伴い深山ダムが建設されて出現したもので、街道現役時代には存在していない。

三斗小屋にアクセスするにはおおまかに言って茶臼岳から登山道を行くルート(上図では省略)、沼原湿原から登山道を行くルート、深山ダムから登山道を行くルートの3つがある。いずれもクルマでは途中までしか行けず、往復10km以上の登山道を徒歩で進むしかない。今回は徒歩ルートのアップダウンの最も少ない深山ダムルートで進むことにする。




■ 三斗小屋への道




さて出発したのは午前6時頃。昨夜は雨だったので木々は濡れて色も鮮やかだ。これは木ノ俣川沿いでみつけた藤の花。平地よりワンテンポ遅れて咲いている。

ちなみに藤の花を植物園や日本庭園の "藤棚" でしか見たことのない人は、そのへんの山野に自生している藤の多さに気が付くと驚くかもしれない。筆者の自宅周辺では特に珍しくはなく、そこらじゅうで目にすることができる。




木ノ俣地蔵付近ではサツキがイイカンジで咲いていた。ツツジの仲間は北海道までひろく分布しているけれどもサツキはやや南方系で、関東北部は分布域の北限に近い。そういう意味ではちょっと貴重なものを見ているのかもしれない。




そして上ってきた深山ダム。大倉山の残雪もほぼ消えている。微妙に朝もやで霞んでいるけれど、天気予報では今日は基本的に晴れる筈なので前進あるのみ。




深山湖は雪解け水で水位が上がったせいか岸に近い木が水没している。




発電所を過ぎて大川林道を進むと、なにやら随分綺麗に整備されていた。はて・・・通行止めしているのに道路整備とは何のつもりだろう。 大川林道の通行止め解除が近いのなら嬉しいのだけれど。。。




大川林道終点付近からは三斗小屋方面に分岐、こちらは整備なんて知らんわ的なワイルドなダートになっている。途中、フレッシュな落石箇所をいくつも眺めながら進むと・・・




禁断のチェーンが現れる。実を言えばこの先も物理的にはクルマの通行は可能で、三斗小屋宿跡までは登れるのである(三斗小屋温泉の車は荷物搬送でここを登っている)。




それを阻んでいるのは、営林署と栃木県企業庁の 「事故がおきたときに責任を取りたくない」 という事なかれ主義であるらしい。 たまに無茶して転落するクルマがいるので通行そのものを認めないという姿勢になってしまったらしい。




■ トレッキングコースを行く




それはともかく、管理者の決めたルールは守るのがマナーであろうから、クルマを林道脇の駐車スペースに停め、ここからは徒歩で行くことにする。

三斗小屋宿跡まではおよそ4kmほどの道のりになる。だんだん日差しがつよくなってきた。イイカンジで晴れてきたな。




登山道(…というかクルマは走れる程度なのだが)は、那珂川の支流である湯川にほぼ沿っている。もうすっかり源流感が漂っているな。

ちなみにここの水はそのまま飲むことができる。




この付近は茶臼岳の西側の裾野の末端付近にあたる。噴火に伴って何度も降灰や火砕流に遭っているためか、土地は砂礫層で表土は非常に薄い。樹木は 「岩を抱いて」 成長しているといった感じだ。 ただ砂礫といっても那須野ヶ原とちがってここは降雨(積雪)の多いところのため、水は豊富にある。




登山道脇に湧き水をみつけた。一箇所や二箇所ではなく、同じような湧き水はあちこちに見られる。砂地になった湧き口から滾々と湧き出す地下水は、年中温度が一定で、夏は冷たく冬は暖かい。




地図にも載っていないようなこうした流れが無数に集まって、川をつくりあげていくんだなぁ。




道は傾斜のきついところをコンクリートで補強してあるのだけれど、かなりボロボロになっている。茶臼岳の上のほうにいくと見られる、染み込んだ水分が冬季に凍って岩を割るあの現象と同じ要領で風化しているようだ。

ちなみにこの付近は栃木県内でも有数の豪雪地帯である。 「三斗小屋温泉誌」(随想舎) によると三斗小屋付近の積雪は多い年では4mちかくなるという。谷間の立地というのもあるかもしれないけれど、実は川端康成もびっくりの雪国なのである。




江戸時代にはこんな高低差の激しい山道を通って年貢米を運んだというのだから凄い話だ。もちろん荷車など引けないので振り分け荷物よろしく馬の背に積んで輸送するのである。三斗小屋の名の由来として 「古谷を三度越えて到達するほど奥深い」 とか 「道が険しく一度に三斗の米を運ぶのが精一杯」 などの説があるけれども、たしかにそんな側面はあるかもしれない。




■点在する古跡




クルマ止めから2kmほどで沼原湿原ルートへの分岐点に到達する。ここには会津中街道時代の道標がある。写真では読みにくいが、「右ハやまみち 左ハ板室」 と書いてある。もちろん登山道としては現在も通行者がいるので、傍らには今風の案内標識も立っている。




道標をすこしロングで撮ってみた。ここで重要なのは標識の向いている方向だろう。板室でも深山ダム(当時はダムは無いので那珂川の流れる渓谷沿いの山道)方面でもなく、三斗小屋方面を向いている。

いきなり回答を書いてしまうと、この街道を開削したのは会津藩なので、あくまでも会津(=三斗小屋方面)からやってくる旅人から見た視点で道標はつくられているのである。ここは領土的には黒羽藩なのだが、道路開削の動機が強かったのは会津藩のほうで、工事費用はほとんど会津藩が持った。そんな事情が、道標一つから読み取れるのだから面白い。




道標を過ぎると、だんだん白樺が増えてきて高原感が漂ってくる。あたりは鳥のさえずりと、ちょっと早めのセミの声が響いている。




さらに1.5kmほど上ると、道端に石仏が現れる。三斗小屋宿跡はもうすぐそこだ。

<つづく>